テレビショッピング今昔物語
なぜ撮影したかは全く覚えていないが、良くよく見るとテレビショッピングにあるまじき高さである。
これほど高価な買い物を、現物も見ずに電話一本で買う人が果たしているのだろうか。
返品不可となっているし。
一時期、このようなテレビショッピングを良く観ていた。
絶妙な価格対品質の商品が多く、売り手の方の上手な話を聞いていると確かに欲しくなるようなものも少なからずあったように思う。
(結局買ったものはないが)
服なんかは時間が進むにつれ結構な勢いで残り僅か→完売になったりして、その真偽に疑問を持ちつつも、まあ売れるのかもなとぼんやり感じたりもしたものである。
ちなみに僕くらいの世代だと、テレビショッピングと言えば子どもの頃CMが流れていたのは日本文化センターさんであり、僕の住んでいた地域だと「東京03〜♪」から始まる電話番号だったのだが、あれは地域によってかなり異なっていたらしい、というのを最近知り驚いた。
詳しくは調べてみていただきたいのだが、確かに今はフリーダイヤルとか、もっと言えばURLや検索ワードさえ書いておけばその会社の情報にアクセスできるわけで、そう考えると便利な世の中になったものである。
過ぎし日々は一瞬の煌きと重なって
スターバックスと花火。
個人的には非常にお洒落だと思う。
近すぎる花火は音が大きく苦手だが、こうやって偶然見られる花火はやはり綺麗で思わず立ち止まってしまう。
これは数年前の写真だが、一体どこで撮ったものだろうと調べてみるとどうやら埼玉県の上里サービスエリアらしい。
前後の写真から紐解くに、この日は土曜日で、おそらく昼頃に東京か横浜で友人たちと落ち合い、その後レンタカーで秩父に行き温泉に入り、その後関越自動車道で日光に向かったようだ。
…とここまで書いて思い出したが、確か鬼怒川の伊東園ホテルニューさくらに泊まったのだった。
何でホテルの地下に歌広場があるのだろう(しかも無料で使える)と不思議に思ったことを強烈に覚えている。
(伊東園ホテルも歌広場もクリアックスという企業が経営しているためらしい)
当時はレンタカーを借り、どこかをドライブしているうちに行き先を決めるという無鉄砲っぷりで、ホテルなんかも当日の夜に予約することがほとんどだった。
このときは予算にも収まるホテルがたまたま取れたから良かったものの、だいたいは全く部屋がないか、あっても目が飛び出るほどの高価格だったりして、そのたびに車中泊をするか道中のスーパー銭湯で仮眠するか、場合によっては夜通し運転して結局自宅まで戻ってから寝るということを繰り返していたように記憶している。
今同じことをやれと言われるとちょっと躊躇ってしまうが、当時はそんな休みも楽しくて楽しくて仕方なかったのだろう。
時が流れ、僕たちも徐々に様々なしがらみに囚われてしまったが、またこんな風に気の合う友人たちと明日のことも気にせず自由な時間を過ごしてみたいものである。
技術の進歩と付けられなかったペアストラップ
最近は技術の進歩が止まりつつあるとか言われたりするが、こうやって少し前の写真を見るだけでもそんなことはないと思うことができる。
さすがにショルダーフォンや車載電話までは現物を触れたことはないが、子どもの頃からポケベル、PHS、携帯電話(今ではガラケーと呼ばれる物である)と進化してきて、今ではスマホなるものまで出ている。
その間、いくつかのキャリアが社名を変更したり買収されたり合併したり…とか、携帯電話も白黒からカラーになりQVGAになり…とか掘り下げていくとキリがないので止めておくが、とにかく僕が初めてスマホと呼ばれるもの(iPhone4)を手にしたときはこれまでの携帯電話との違いに戸惑ったものである。(正確に言うとその2機前にWillcomのAdvanced W-ZERO3[es]を持っておりそれが初スマホだという見方もできるが、Windows Mobileはもうなくなっているし、現在まで続くOSのスマホはiPhone4ということにしておく)
森羅万象がそうであるようにガラケーにももちろん長所短所あるのだが、当時僕が最も気になっていたのはレスポンスの悪さである。
これは結局最後の最後まで解消されなかったが、例えばメニューキーを押してメニューが出るまでとか、インターネットキーを押してブラウザが立ち上がるまでにほんの僅かなラグが出るところがどうにも受け入れ難かった。
当時は最新機種であっても新規契約してしまえば端末代金がかかることのほうが珍しく、電話番号やメールアドレス(今のGmailとかではなく、キャリアのアドレスである)を変えさえすればどれでも1円とかそんなところで端末を手に入れることができた。
そのため僕は毎年その時々の最新機種を使い続けていたのだが、それでもなおレスポンスについて満点を出せる機種はなかった。
そんな中、3GSから少しずつ聞くようになっていたiPhoneというものがどんなものか、ものの試しに使ってみようとなったのである。
まず驚いたのはレスポンスの良さ。
押したら即反応があるという心地良さ。
フルブラウザとかアプリとか、ガラケーからスマホに変わったことに伴う機能への驚きも当然その後に来るのだが、ファーストインプレッションはとにかくそこだった。
そして端末のスマートさ。
折り畳みケータイのガジェットさはそれはそれで味があるが、これは何とも、鉄の板のような見た目で不思議な魅力を持っている。
手に入れてすぐ、これはとんでもないものが出てきたと感じた。
もちろん短所がないわけではなかった。
まずガラケー使いからすると通知LEDがないのが最も気になった。
不在着信やメール受信が遠目にわからず、充電もされているのかどうか良くわからなかった。
その点については引っかかる方が少なからずいたようで結構検索されていたようだが、iPhoneはそういう使い方をするものではないので人間をiPhoneに合わせてください、という回答で妙に納得した記憶がある。
Appleという会社はそういうものなのだと。
だいぶ遠回りした。
写真は携帯電話に付けるストラップである。
いつの日か恋人とこういうペアストラップを付けてアピールしてみたい…と今思えばちょっと気持ち悪いことを願っていたこともあったのだが、iPhoneにして驚いたことのもう1つがこれで、つまりストラップを付けるホールがなかったのである。
某芸能人の方ほどの大量はあまりいなかったが、ガラケーにはストラップを付けるのが当たり前で、それが個性の出し方にもなっていた。
それがどこをどう見ても付けられないので、さてこれはどういうことなのかと思ったものである。
ホールのあるケースを着ければ何とか対応できなくもないが、せっかく単品で美しいiPhoneをケースに閉じ込めてしまうのも嫌だ…ということで僕はついに裸のままiPhoneを使い続けたが、結果として世の中が急激にスマホに移行し、ストラップ文化というものもほぼ廃れたものになってしまった。
(スマホショルダーというちょっと違った文化は出てきたが)
そんなわけで、僕がペアストラップを誰かと付けることは恐らく一度としてなくなり、この写真を見るにつけ時間は流れ世界は変わっていくのだと感じざるを得ないのである。
また一つ夏が終わる
10月も半ばに差し掛かり、ようやく身悶えるような暑さが和らいできた。
高校生の頃なんかは炎天下でも必死に白球を追いかけていたものだが、この夏なんかはいかに日に当たらずに日々を過ごせるか、こればかり考えていたような気がする。
一昔前の暑さとは違うとは言うが、さすがに自分が弱くなり過ぎた感もある。
屋根のあるホーム上で傘をさす姿がなんとなく面白く撮ったことを覚えている。
神奈川で雪が積もることはそう多くないが、何年かに一度くらいで数cm積もり、その度に街は混乱する。
自分も含め何かしらの対策をしろよと思わなくもないが、喉元過ぎれば熱さ忘れると言うように、それこそ何年かに一度のためにコストをかけ準備するということにどうしても躊躇してしまう。
大地震とか、生命への危険性が高い災害はもちろん別なのだが。
今はまだ涼しくなってきた途中のため、この写真を見ても身体が底冷えする感覚を思い出せないが、また冬に向かうにつれ今度は夏の暑さが恋しくなってくるのであろう。