立場で変わる心と懐古
トンネルを運転するのは苦手だ。
特に真っ直ぐな道は、今自分がどんな速度でどこに向かっているかすらわからなくなる瞬間があり、その度にハンドルを不意に曲げてしまわないように汗が滲む。
一方で、後部座席にいるときにトンネルを通るのは好きだ。
近くから遠くから走る音が聞こえ、何となく気だるいような、それでいて車内は対照的に静かで、自分が確かにこの空間にいるのだという実感が湧いてくる。
おそらく、子どもの頃、後部座席にいるときにトンネルを通ることが良くあったからだと思う。
そのトンネルはニュータウンにあるスーパーやスイミングスクールから家に帰るときに通る道で、入りと出で周りの雰囲気も一変する。
片側二車線で、途中に換気のためのジェットファンが付けられていた。
親の庇護下という圧倒的な温かみの中での思い出。
あのとき運転席にいた親も、実は手に汗握っていたのだろうか。
それでも、子どもの僕にはそんな様子はちっとも察せなかったわけで、そう考えるとやはり親は偉大な存在なのかなと思ったりする。